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――バンドはメルボルンで結成されたそうね?
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トビー・ダンダス (トビー): |
10年ぐらい前にダギーがインドネシアからオーストラリアへ越してきた時にジョニー知り合って、それから5年ぐらい経ってからダギーと俺が仕事を通して知り合って、ダギーがバンドを結成しようって言って。それでベーシストが必要になってジョニーも誘って、その後高校時代から知り合いだったロレンゾに俺が声をかけたってわけ。これが3年半ぐらい前のことかな。
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ダギー・マンダギ (ダギー): |
オーストラリアへの移住は両親の意思で、2度進学を試みたんだけど、どちらも中退してしまったんだ(笑)。辞めさせられる前に自分から辞めたっていうのかな。1度目はファッションとマーケティング、2度目はミュージック・ビジネスを学んだんだけど、どちらも僕にとっては退屈で、苦痛だった。1度目は夜のコースを週に4教科取りながら、2つの仕事を掛け持ちしていたから、余裕がなかったんだ。2度目の時は、国内でこのバンドが起動に乗り始めた時だから毎週のように地方へライヴに行かなきゃならなくて、その度に外泊許可みたいなのをもらわなきゃならなくて、それで決断に迫られたんだ。自分は音楽の事を学びたいのか、それとも音楽活動をやりたいのかってね。まあ、その答えは明確だったさ。
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――初めて今のバンド・メンバーと出会った時から、いつかビッグになるっていう野望はあった?
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| ダギー: |
このバンドに関しては常に野望を持っていたね。すごく大切な存在だし、情熱を注いでいるから、ある程度の“成功”はつかみたいってずっと思っていたよ。
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――アルバム曲の作詞は全てダギーが手がけてるの?
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| トビー: |
ジョニーが書いた「Down River」以外は全てそうだね。
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| ダギー: |
歌詞のインスピレーションは何からでも得られるよ。僕の書く詞はほとんど内省的な内容だから、自分が経験した葛藤や、テレビで観たもの、イマジネーションなどがもとになっている。とは言え、“僕”という人間を築き上げた人生経験が最も大きな影響かな。大切なのは曲作りに決まり事を設けない事。ルールを作った時点で創造力は遮断されるからね。
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――ダギーは英語の方がインドネシア語よりも得意なの?
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| ダギー: |
どちらも同じぐらい不得意さ(笑)。ただ、インドネシア語で曲を書いた覚えがないんだ。19歳で初めて書いた曲も英語だったし。インドネシア語で書いてみたいとは思うんだけど、きっと英語のボキャブラリーのほうが表現方法が豊富で、書きやすいんだよね。もしかしたら僕のインドネシア語の知識が足りないからそう感じるのかもしれないけどさ。
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――敏腕プロデューサーのジム・アビスを今作では起用しているけど、あなた達のほうから彼にオファーを?
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| トビー: |
これは全くの偶然なんだよね。俺らがプロデューサーを探してた時、ジムのマネージャーがオーストラリアにバンドを視察に来ていたんだ。そのバンドのサポートをやっていたのが俺達で、俺たちのパフォーマンスを観た彼女が言うには、ジムは俺達みたいなバンドと仕事をしたがるだろうって。それで彼にデモを送ったんだ。それからしばらく経ったある日、世界中から送られてきたデモを聴きながら田舎町をジムが奥さんとドライブしてたそうなんだ。そこでちょうど俺らのデモがかかって、「Soldier On」が流れたらしいんだけど、それが奥さんといい感じになってる時だったらしくて、ジムが「こいつらとレコーディングしてこようか?」って奥さんに訊いたら、「是非そうして」って答えたそうなんだよ。だからこれはミセス・アビスのおかげなんだよね(笑)。
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ロレンゾ・シリット (ロレンゾ): |
ジムはすごく家族思いな人間で、子供が3人いるから、家族から遠く離れたメルボルンまできて仕事をするのは大変なことだったと思うけど、実現できて嬉しいよ。
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――初めてジム・アビスがあなた達と仕事をしたいって言ってきた時、どんな気分だった?
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| ロレンゾ: |
正直、彼の事を良く知らなかったんだ。もちろん彼が手掛けた作品は知ってるけど、彼自身のことはあまり知らなかった。だからスタジオで実際に会って話をして、過去に手掛けたアーティストを直接知らされるまで、実感がわかなかったよ。でも彼は素晴らしい耳の持ち主で、色んなトリックをもってて、どうやったら良いサウンド、良いヴァイブを出せるかっていうのを良くわかってる。彼が俺達にやってくれた最も重要なことは、曲をスペシャルにする“何か”を含んだ1テイクがどれかっていうのを教えてくれたことだね。
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――他に彼から学んだ事は?
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| トビー: |
常に実験的でいること。キーボードやギターでメロディがあったとしたら、彼はそこに色んなものを加えていって、しっくりくる音が出来るまで実験し続けるんだ。
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| ロレンゾ: |
それから、常に耳を開けておくこと。ある時なんか、トビーの70年もののメルセデスに乗っていたんだけど、その車のドアを閉めた時に発したスチール音をジムが気に入ってね、それをサンプリングしてスネア・ドラムとして使えって言ったんだ。そういった感じに、常に耳をオープンにして、色んな音を吸収していたよね。それは勉強になった。
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――アルバム・ジャケットについてきかせて。
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| トビー: |
これはアフガニスタンの女の子なんだけど、ダギーが描いていたアルバムのテーマを表すことから、ジャケットは人間の顔にしたいってずっと思ってたんだ。そんな時にこの写真に出会って、この女の子の目がまさに伝えたいものを発信してくれてる気がしてこれに決めたんだ。
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| ロレンゾ: |
この写真は、あの有名な『National Geographic』誌の表紙を飾った、同じくアフガニスタンの女の子を撮影したのと同じカメラマンが撮ったものなんだ。あれと同じシリーズの中の1枚だったんだけど、この写真に出会うまでにたくさんの写真をみたよ。
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| トビー: |
ジャケットを通して伝えたい事は明確だったから、それに相応しい写真、または絵に出合う事がすごく重要だったんだ。
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――アルバムを『Conditions』って名付けた理由は?
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| トビー: |
ダギーが考えた名前なんだけど、彼が書く曲っていうのは、愛や別れと色んなテーマがあるんだけど、それらは人間のコンディション(状態)を表しているんだ。それと、我々が生きていくコミュニティの中に存在する、上から与えられたコンディション(条件)という意味も込められている。だからこの名前には、パーソナルとソーシャルな二つの観点からの思いが込められているんだ。
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――ところで、今朝までサマソニの打ち上げパーティだったみたいだけど、誰か興味深い人には会えた?
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| トビー: |
ビヨンセに話しかけたよ(笑)。夜中、自分に言い聞かせてたんだ、「行け、行け」ってね。だからちょうど彼女が帰る時を見計らって、タイミングをあわせて出口で出会うようにして、「ハーイ、トビーだよ。君の音楽すごく好きさ」って伝えたよ。そしたら「どうもありがとう」って。
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| ロレンゾ: |
すごく不思議な感じだよね、ビヨンセと同じ空間に自分達がいるっていうのは。彼女はずっとソランジュと2人ですごく自然体で話をしていたよ。大スターなのに、そんな素振り全くみせないでチルしてるってクールだよね?
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| トビー: |
グリズリー・ベアのエドとクリスとかなり盛り上がってたみたい。
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| ロレンゾ: |
ソランジュがグリズリー・ベアの大ファンらしいからさ。サマソニの東京会場でもグリズリー・ベアのライヴを息子を連れて観てたもんね、彼女は。
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| インタビュー・文 / 猪俣ロミ |