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――前作『マルアジャスティッド』以来7年の空白が空いたわけですが、この新作を“新しい始まり”と位置付けているようですね。
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| モリッシー: |
そう、前作の続きではなく全くの再出発だ。もはや80年代でも90年代でもなく、我々は従来とは異質な時代を生きているわけだし、僕自身も以前とは少し違う人間だからね。内面も外見的にも。実は当初はこれほど長い空白が空いたことに不安を抱いていたんだが、逆に良かったと思う。『マルアジャスティッド』は正直言ってそれほど素晴らしい作品ではなかったから、一呼吸置いて正解だったね。
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――この間に40代に突入したわけですが、心境に変化は?
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| モリッシー: |
40歳の誕生日を迎えた時に、僕はこの上ない安堵感と歓喜を感じたよ。なにしろ17歳の頃にすでに“中年の危機”を味わっていたから、今やストレスなど残っていないし、人生の底知れぬバカバカしさを悟って、気持ちがふっきれたんだよ(笑)。
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――アルバム制作には、どんなアイデアをもって臨んだのですか?
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| モリッシー: |
まずはタイムレスな音楽を作ること。そして可能な限り巧く歌うこと。可能な限りダイレクトな作品にすること。それから、人々が煮え切らない意見を抱くことが不可能なアルバムにしたかったんだ(笑)。グッドでもバッドでも構わないから、必ず何らかの強い意見や反応を引き出して、僕に対する態度を明確にしてもらいたかったのさ。自分ではこれらの目標をクリアできたと思ってるよ。
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――確かに非常に挑戦的なスタンスが伺えますし、全体的にラウドでアグレッシヴな音になったのもそのせいですか?
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| モリッシー: |
そうだね。とはいえ今さら単に幼稚でノイジーな作品を作って、音の大きさだけで注意を引きたくはなかったから、全ての要素に整合性を持たせた上で、対決姿勢を露にしたサウンドを目指したんだ。
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――プロデューサーにブリンク182などパンク系バンドの作品で知られるジェリー・フィンを選んだのは意外でしたが、理由は?
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| モリッシー: |
確かに彼が手掛けた作品は決して僕が好んで聴くタイプじゃない(笑)。でもジェリーが作る音のクオリティはジャンルに関わらず明白だよ。彼はプロダクションという作業に執拗なほどひたむきで、録音された音のあらゆる側面を徹底的に追及するんだ。そんな彼に多大なインスピレーションを与えられたよ。
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――詞に関しては、鋭いウィットといい、おかしくも悲しい人間の本質を捉えた豊かなペーソスといい、王道のモリッシー節ですね。
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| モリッシー: |
ああ。背後から人に忍び寄り肩をポンポンと叩いて、“ほら、僕だよ”と言っているようなアルバムなんだよ(笑)。
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――変わらないと言えば、孤独感や疎外感というザ・スミス以来のテーマが今回も柱となっていますね。
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| モリッシー: |
そう、僕が思うに孤独感とは人間の本質であり、誰もが常に抱いている感情なんだよ。大半の人はそれを認めたがらないが、人間は墓場に辿り着くまで独りで生きるんだ。かといって孤独=不幸というわけでもない。その事実を受け入れたら心はずっと軽くなるよ。
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――そんなあなたの言葉は大勢の人を絶望から救ってきたわけですが、あなた自身も未だに音楽に救いを見出しているのでしょうか?
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| モリッシー: |
もちろんだよ。僕は感情的には非常に他者から孤立しているが、少なくともこうして叫び、歌い、自分の最も内なる思いを世界に向けて表現する手段を持っている。それがなかったら、今頃自分がどうなっていたか、想像もつかないね。僕にとってソングライティングこそが、この上なく大きな解放感をもたらす“救い”なんだよ。
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| インタビュー・文/新谷 洋子 |