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’66年、インディアナ州ゲイリーにて、ご存知ジャクソン・ファミリー9人兄弟(6男3女)の末っ子として誕生。8歳の時に、すでに活躍していた兄、姉と共にジャクソン・ファミリーとしてラスヴェガスのMGMグランド・ホテルの舞台に立ったのが初ステージ。10歳の時には、ジャクソン・ファミリーのバラエティ番組『The Jacksons』に出演を果たす。
’82年9月、A&Mレコードからアルバム『Janet Jackson』で歌手デビュー。父ジョゼフのアイディアで決まったアーティスト・デビューに対して、当初ジャネット自身は乗り気ではなかったというが、同作は全米チャート63位、R&Bチャートでは6位を記録。翌’83年には、大ヒット映画『Fame』のTV版に出演し、女優としてのキャリアも順調の中、’84年に2ndアルバム『Dream Street』をリリース。同年には18歳という若さで結婚するが、わずか7ヵ月で破綻という結末に。
’86年、3rdアルバム『Control』をリリース。同作からは「Nasty」「Control」など5曲が全米チャートでトップ5入りを果たすヒット曲を生み出し、アルバム自体も全米/R&Bチャート共に1位を獲得。アメリカだけで500万枚のセールスを記録し、伝説をスタートさせる。
’89年にリリースした続く4thアルバム『Janet Jackson's Rhythm Nation 1814』では、今も代表曲となり続けている「Rhythm Nation」や「Come Back To Me」など7曲のトップ5ヒットが誕生し、内4曲は全米ナンバー・ワン! アルバムの1位はもちろんのこと、アメリカだけで730万枚を売り上げた。ワールド・ツアー“Rhythm Nation 1814 Tour”を翌年からスタートさせ、全世界で200万人以上の観客を動員し日本でも2度の公演を行なった。
’91年には、A&Mレコードを離れヴァージン・レコードに移籍。スターの殿堂入りを果たすと同時に、2度目となる極秘結婚も。ルーサー・ヴァンドロスとのデュエット曲「The Best Things In Life Are Free」の大ヒットを経て、’93年には5枚目となるスタジオ・アルバム『janet.』をリリース。「That's The Way Love Goes」「If」「Again」という全米1位の楽曲を含む6曲がトップ10入りを果たし、アルバムでも1位を獲得。780万枚のセールスをたたき出した。また同年には、初の主演映画『Poetic Justice』で故2パックと共演。興行収入第1位を記録した。
’95年、兄でありこちらもスーパースターのマイケルと「Scream」で共演を経て、’97年には6枚目のアルバム『The Velvet Rope』をリリース。同作からは、「Together Again」「I Get Lonely」などのヒット曲を生み、全米360万枚のセールスに。
’99年、8年間の結婚生活にピリオド。映画『Nutty Professor II: The Klumps』でエディ・マーフィーと共演。サントラに収録の「Doesn't Really Matter」が全米ナンバー・ワン・ヒットとなり、’01年には“アメリカン・ミュージック・アウォード”にて特別功労賞を受賞。“MTV iCON”の栄えある第1回受賞者となる。同年、7thアルバム『All For You』をリリース(全米/R&Bチャート1位)したのち、ワールド・ツアーにて来日公演を実施。’04年にはジャネットのミドル・ネームをタイトルにした8thアルバム『Damita Jo』をリリース。同作は全米/R&Bチャート共に2位となったが、プラチナ・ディスクを獲得。
40歳となった’06年、『Control』のリリースから20年を記念して制作されたアルバム『20 Y.O.』をリリース。ネリーをフィーチャーした1stシングル「Call On Me」がR&Bチャートにて1位を獲得。アルバムも全米/R&Bチャート共に2位を記録した。
’07年、映画『Why Did I Get Married?』に主演し、興行収入第1位を記録。レーベルをアイランド/デフジャムに移籍したのち、年末にはニュー・アルバム『Discipline』からのリード・シングル「Feedback」(ロドニー・ジャーキンスのプロデュース)が突如リークされ大きな話題となり、デジタル・リリースに。
そして’08年2月、通算10作目となるアルバム『Discipline』がついにリリースされる。まさに原点回帰となるダンス・アルバムで、この輝かしい軌跡に新たな栄光を刻むことになる。
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